9月5日のニュースで「日本ライン下り」が復活!と出ていました。2012年に休止しており早く復活できるといいですね!
Contents
日本ライン下りの歴史
名称の由来(1910年代)
日本ラインという名称が生まれたのは1919年頃、当時の鉄道省が観光振興を図るために、木曽川のこのエリアをドイツのライン川にたとえて「日本ライン」と呼ぶようになったのが始まりです。美濃加茂市から犬山市にかけての約13キロの木曽川の渓谷が、ライン川の流れを彷彿とさせるということから、この名称が付けられました。
観光船の開始(1920年代)
観光船による日本ライン下りは1920年代に始まりました。岐阜県は自然豊かで、特に木曽川周辺は美しい景観に恵まれていたため、観光資源として開発されました。戦前から、木曽川の急流を利用した遊覧船が観光客に人気を博し、特に夏季には涼を求める観光客が多く訪れました。
発展と人気の高まり(1950〜1970年代)
戦後、日本の観光業が再び盛んになると、日本ライン下りも多くの観光客を集めるようになりました。木曽川の激流を下るスリルとともに、川岸の美しい自然や渓谷の景色が観光の目玉となり、国内外から多くの観光客が訪れました。観光資源としての日本ラインは、この時期に大いに発展しました。
現代の日本ライン下り
現在では、日本ライン下りは、美濃加茂市の主要な観光アクティビティの一つとなっており、年間を通して多くの観光客が訪れていました。特に春の桜や秋の紅葉のシーズンには、船から四季折々の景色を楽しむことができ、人気が高まっていました。
かつて遊覧船事業が盛んに行われていた場所ですが、現在は運行が終了しています。最盛期には大勢の観光客を集めたこのエリアは、名古屋鉄道が運営していたものの、2002年に事業を終了しました。その後、地元の「木曽川観光」が2003年に再開したものの、利用者数の減少や他の事故の影響もあり、2012年に最終的に運行が休止されました
観光の特徴
日本ライン下りは、岐阜県美濃加茂市の太田橋から犬山市の日本ライン下り終点までの約13キロを、手漕ぎの船で急流を下る体験です。川の流れは時に穏やかで、時に急流となり、スリルと美しい自然の両方を楽しめる観光スポットとして知られています。
このように、日本ライン下りは長い歴史を持ち、美濃加茂市や岐阜県にとって重要な観光資源として発展してきました。
日本ライン下りの跡地はリバーポートパーク美濃加茂になっています
リバーポートパーク美濃加茂は、岐阜県美濃加茂市に位置する複合型レクリエーション施設です。自然豊かな木曽川沿いにあり、地域住民や観光客が楽しめる多彩なアクティビティが揃っています。元々は「日本ライン下り」の跡地を活用しており、現在はアウトドアや水辺のアクティビティを楽しめる場所として人気があります。
キャンプ・グランピング
リバーポートパーク美濃加茂では、キャンプ場やグランピング施設があり、川沿いの自然環境を満喫しながら宿泊が可能です。特にグランピングは設備が整っており、初心者や家族連れでも快適にアウトドアを楽しめます。
カフェ・レストラン
「リバーサイドカフェ」は、施設内のレストランで、地元の食材を活かした料理を提供しています。川の景色を眺めながら食事を楽しめることが、観光客にも人気です。
アクティビティ
パーク内では、カヤックやSUP(スタンドアップパドルボード)といった水上スポーツが体験でき、木曽川の美しい景観とともに自然を楽しむことができます。また、サイクリングコースや広々とした芝生広場もあり、子供から大人まで楽しめる環境が整っています。
地域コミュニティの場
地元のイベントやマーケットも頻繁に開催され、地域の人々が集まる場としても機能しています。特に、地元農産物を販売する「朝市」や、季節ごとのフェスティバルは、地域の特色を活かしたイベントです。
施設の目的と背景
リバーポートパークは、美濃加茂市が地域活性化を目指して整備したもので、自然と人が共存する新しい形の観光スポットとして注目されています。かつての観光資源であった「日本ライン下り」の跡地を再利用し、現代のライフスタイルに合ったアウトドア体験や地域コミュニティの場として進化しています。
この記事をお気に入り